序章に書いてある言葉からすっかりやられてしまった。
断捨離とは「出す」美学なのです。
入れたら、出る。出るから、入る。そして、出す。
P7より
捨てるではなく、出す。
この言葉にすっかりとはまってしまい、本を読んでいる途中から物を出したくてしょうがなくなってきた。
早速実行していこうと思った。
着目点は物ではなく空間
物には目に見えない吸着力がある。
物はただ単にものである、そこに過去の思い出などを勝手に意味づけをして捨てられなくしている。
物軸で物にとらわれてしまい物を手放すことができなくなる原因である。
軸を物ではなく、空間に移してしまう。
空間をいかに快適なものにしていくかに軸を移していく。
過去に縛られず、まだ来ていない未来を心配するのではなく。
「今」という時間を大切にして、今必要な空間をつくるために過去の遺物には成仏してもらおう。
自分の持ち物をあらためて見てみた。
若いころに気に入って買ったブーツが捨てられない。
いまなんか全然履いてないのに
「いつか履くかも、、」
「高かったし、、」
と物軸の罠にすっかりはまってしまっていた。
物軸から空間軸に意識をずらして、物に意味付けをしている事に気がついたら捨てることができた。
実はまだ一足残っているのだが、、、。
「捨てる」と「棄てる」は違う
「棄てる」とは廃棄の棄である。
物体としてそのまま、見向きもされず打ち棄てられているイメージ
p47より
それを外でやるのか、家の中でやるのか違い。
ここを読んだときにぞっとした。
部屋のなかを見回したときに、普段は気にしていなかった物で廃棄物があった。
ホコリをかぶって打ち捨てられている物が。
こんな物に囲まれている空間が快適なわけがない。
物からの無言の圧迫を受けている。
「捨」にはほどこしの意味があるそうだ。
仏教用語に「喜捨(寺社や貧者に金品を寄付すること)」
自分の所では活かすことのできないので、別の場所で生き返らせる。
大きな視点で見れば、焼却処分したものであっても、物質として形は変えながらも循環していく。
そう循環させることが大切なのである。
断捨離とは体質改善
本の書き出しに「断捨離とは、ただ捨てることにあらず」と書いている。
そして、p56では「断捨離とは、ただ捨てること」とあえて書いてある。
断捨離とは物を捨てるとこで、頭のなか思考の詰まりを流していくものなのである。
ただ漠然と物をぼいぼい捨ててしまうのは、ただの浪費かもしれない。
買っては捨て、買っては捨てのくりかえし。
物にとわれて溜め込んでしまっているのは廃棄である。
貯めこまない、浪費もしない。
思考を整理して、現状を認識して、貯め込んでしまうメカニズムを知り同じことを繰り替えない。
断捨離とは思考の体質改善なのだ。
まとめ
わたしは妻の親戚の家に住まわせてもらっている。
家の現状は妻のブログに詳しく書いてあるのでこちらを参照していただくとして。
片付かない家に不満を持っていた。
当然、いつも不機嫌である。
わたしが不機嫌なら妻も不機嫌である。
不機嫌の連鎖である。
そしてわたしは自己肯定感が低く。
こんな自分ではダメだ!と自分でダメ出しをして、ギュウギュウにいろんな事を詰めこんでいた。
断捨離とは物の整理術かと思っていた。
断捨離を知って自分がいかに、様々な事や物を抱えこんでいる事に気が付いた。
詰め込みすぎて余裕がなくなり、周囲にも余裕がないオーラを出しまくっていた。
ここでも負の連鎖である。
家も心も空間、隙間が大切なのである。
そんな事を気づかせてくれた一冊であった。
家は絶賛断捨離中である。
近々、業者をよんで大掛かりな断捨離も予定している。
断捨離をしてすっきりとした空間を手に入れる。
今から楽しみである。
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