ビリーフリセット®︎心理学講座の師匠である、大塚あやこさん(以下あやさん)のセッションを受けてきました。
わたしは自己肯定感が低くて、「いまの自分ではダメである」という思い込みがあるのを、心の探求を通じてわかっていました。
ただ疑問というか何というか、漠然と自分が何に対して、いつからダメだと思っているのかが、気になっていました。
だって産まれたときから無人島に一人で住んでいる人は、そもそも自己肯定感なんていう感覚すらないと思うんです。
何か対象があるから、比べられる訳です。
なので漠然と自分はダメだー、ダメだーと言っているけど、果たして自分は何に対して、いつダメだと設定したのだろうか。
誰に対して、何に対していつからダメだと思っているのか。
そこを突き止めることで、自分のダメ設定がリセットできるのではないか。
そんな事を思っていたのです。
そしてセッションを受けて発見しました。
自分はダメであると設定したのは、子供の頃に父親との関係性の中で、設定してしまったようです。
ざっと説明しますと。
わたしは父親が大嫌いで、ずっと反発していたのでが、実は大好きだったようなのです。
その大好きだった父親とタイプがあまりに違いお互いを理解できなかったのです。
少年だったわたしは、大好きな父親を嫌いになりたくない、自分も傷つきたくないと思い、自己設定を低くして問題を回避しようとしたようなのです。
何故にそんなややこしいビリーフ(思い込み)を持ってしまったのでしょうか。
あやさんとのセッションで、どんな気づきがあったのか。
セッションの流れと、どんな事を感じたか説明したいと思います。
親父は太陽 俺はゴミ虫
あやさんとのセッションをしていて、どのタイミングで誰に対して自分がダメであるかと発見をしました。
わたしは子供の頃に父親に対して、自分はダメであると設定したようです。
あやさんは傾聴しながら、色々な質問を投げかけてきます。
わたしの話を聞きながら、父親との間に何かがあるのではないかと、予想を立てていたようです。
あやさん「お父さんはどんな人だったの?」
わたし「太陽な人」
あやさん「ではあなたは?」
わたし「えっ?ゴミ虫かな」
えっーーー!
自分で言ったクセに驚きました。
「親父は太陽で俺はゴミ虫」
これがわたしの持っていたビリーフ(思い込み)であり自己設定でした。
おいおい。
ゴミ虫って、、、。
でもこれはセッションをしている中で、わたし自身が自分で言った言葉です。
我ながらビックリです!
自分はゴミ虫であると設定していたなんて、、。
どうやらこれを設定することで、子供の頃のわたしは、父親も自分も傷付かないようしていたらしいのです。
どういう事?
わたしと父親は全くといっていいほど真逆の性格。
父親は楽観的でイケイケなタイプ。
わたしは引っ込み思案で引きこもりタイプ。
タイプが全然違うのです。
そんな真逆な性格の父親と理解し合えるはずがありません。
事実わたしは大人になってからは、父親の事が大嫌いで反発ばかりしていました。
父親と話していると、宇宙人と会話しているような気分になったものです。
考えている事を理解してもらえないし、理解する事もまったく出来ませんでした。
大人になってからは、こうして父親に反発して嫌うことも出来ます。
しかし力のない子供にとっては、親は全能の神様のように見えています。
そんな神様のような存在を、子供が否定できる訳がありません。
「自分が悪いんだ」と思うしかなったのです。
先日読んだリズ・ブルボーさんの『5つの傷』ともピタリと一致します。
・父親に受け入れてもらえない(と思い込んでいる)ので拒絶されたと感じる。
・拒絶されるのは恐怖なのでそれを感じないように、父親との距離を置いて逃避する。
・父親自体を遠ざけることで自分が拒絶されているという恐怖を味あわないようにしていた。
こんな流れですね。
簡単に言うと「僕はお父さんの事が大好きなのに、なんでお父さんは僕の事をかまってくれないんだろう。僕が悪いのかな、、。そうだ僕が悪いんだ!大好きなお父さんを困らせてはダメだよね!僕がゴミ虫だからいけないんだ。そうだお父さんは悪くない!」って感じですかね。
自分を「ゴミ虫」と設定する事で、父親を嫌わないように、自分を傷付かないようにしたのです。
どうやらこれが、わたしが自己設定を低くした原点のようです。
えっ!なんでそんな事がわかるの?(ちょっと解説)
「なんでそんな事がわかるの?」って疑問をもつ方がいるかもしれませんよね。
「そんな子供の頃の気持ちなんか覚えているものなの?」
「こじつけてんじゃないの?」
わたしは勉強を始めた時にそう思いました。
確かに事実ではないかもしれません。
しかし、現実にあった事かどうかは重要ではないのです。
カウンセリングは、クライアントさんが普段使っている「なにげない言葉」を手がかりに、心の探究に出かけるのです。
なにげない言葉のなかに、人が世界をどんな風に見ているのかが見えてきます。
言葉を手掛かりに、気持ちを掘り下げていくと自己設定が見つかります。
その自己設定をしてしまった時に感じる気持ちを、いつから感じているのかを時間をさかのぼって聞いていくと、子供の頃にたどり着くことが多いのです。
なので親との関係になってしまいます。
大切なのはクライアントが持っている感覚で、事実かどうかはあまり大切じゃないのです。
母親の死で芽生た父親への反発心
わたしは15歳の時に母親を亡くしているのですが、その時に初めて父親と対面したような気になりました。
というのは母親が生きている時は、母親の向こう側に父親がいるような感じで父親と直接関わることが極端に少なかった。
というか近くと傷つくから、無意識に近づかないようにしていたのかもしれません。
うちは居酒屋商売をしているので、父親か帰ってくる時にはわたしは寝ていて、わたしが起きる頃は父親はまだ寝ているという家庭でした。
ざらに一ヶ月以上顔も合わせないなんてこともありましたし。
それが母親の死によって、どうしたって父親と顔を合わすようになります。
その時に「えっ、うちの父親ってこんなに頑固でわからず屋で全く話しにならん人なのか!!」と思って父親を嫌悪するようになったのです。
子供の頃は、父親を嫌う、反発するなんて考えつきもしませんでした。
嫌う代わりに、自分をゴミ虫設定して誰も傷つかないようしました。
でももうある程度大人です。
ハッキリと「嫌い」と思い反発したのです。
かなり反発して、激しい喧嘩も数回したし、家出もしました。
それでも父親の後を継ぐ気になったんだから、なんだかんだ言って父親を好きだったんでしょうね。
父親のやり方ではダメだ!
「俺はゴミ虫」という設定をしているのに気がついた時に、無意識で決めていた経営方針に気がつきました。
「父親のやり方ではダメだ!」
これがわたしが心の中で決めていた経営方針だったのです。
そりゃそうか父親に反発しているのですから。
否定から入る経営方針って、、。
潜在意識の意識でこんな事を決めていて、それを根っこにした経営方針で会社が上手くいくとは思えません。
根っこが腐っている木は、大きくなれませんよね。
2代目なのに矛盾していますね、いや2代目だからこそある思い込みなのかもしれません。
父親の事が好き。
でも父親とはタイプが違うから理解してもらえない。
でも理解してもらいたい。
それなら自分のなりのやり方で成功して認めてもらいたい。
こんな感じだったようです。
父親に認めてもらいたい
父親の経営は緻密な計算というよりかは、ノリと気合いと根性に明るさを乗っけたような経営でした。
(もちろん父親に聞けばそんなことはない。自分だって色々と計算していたと言うだろうけどw)
それを否定したくて真逆のことをしていたのです。
父親を否定するため、父親に認めてもらいために経営していたことになります。
どうりで経営しているのが苦しくて辛かった訳です。
そこには自分がなにをやりたいかや、社員はどうすれば幸せになるかなどの考えは全く無かったのです。
もう一度整理すると、
お父さん大好き→でも理解してもらえない→自分傷つく→父親は太陽、俺はゴミ虫。
からの反発心で経営していたのです。
いや、そもそも人生における全ての考え方の根本がここにあったのです。
うー。
あほか、、。
お父さん大好き!と認めよう
父親に対して自分を低く設定していたという構造は理解できました。
要するに「お父さん大好き!」という気持ちが出発点でした。
でもいままでは「親父大嫌い!」と思って生きてきたから、おかしな事になっていたのです。
ならば「お父さん大好き!」を認めて受け入れてあげよう。
「親父大嫌い!」で生きてきたから嫌ですけどね。
でも受け入れれば、実は大好きな父親のことを否定する必要もなくなるし、自分を否定する必要もなくなります。
父親が太陽で自分はゴミ虫なんて思う必要がなくなるのです。
なので「お父さん大好き!」と認めてしまうのが第一歩です。
お父さん大好きと認めてしまえば、ゴミ虫じゃない、ありのままの自分でいられるという訳です。
経営も人生も否定からスタートするのではなくなります。
なかなかいい感じではないですか。
ようやくここに気づく事が出来ました。
ここに気づくまで長い道のりでしたが、気づけて大きく1つ進めたように思います。
、、、、、。
あー、でもまだ口に出して言うのはハードルが高いな。
「おとうさん大好き!」とは。
本日は以上です。
2019/11/13
追記
このブログを書いてからも、色々な事がありました。
何かあるごとに、自分と向き合ってきました。
そしていま思うことがあります。
このようなビリーフがあったからこそ、学んだこと、手に入れる事が出来たものがたくさんあるという事です。
自己設定が低く、父親を嫌って反発して経営していたからこそ、父親とは違う経営手法を学んで経営者としてのスキルもあがりました。
また生きづらいと思い、苦しい気持ちがあったからこそ、心の学びをして自分がやりたいと思えることも発見できました。
ビリーフがあったからこそです。
ビリーフは悪いものではないのです。
ただそこにあるだけのものなのです。
問題なのは、ビリーフに気がつかないで、ビリーフによって無意識に行動してしまう事なのです。
ビリーフに邪魔されて、自分の欲求や感情に気がつけない、出せないのが問題なのです。
そんな事に気がついたので追記しました。
2020/05/28