冒頭から失礼します。
わたしは誤字脱字が多い!です。
とにかく多いんです。
ブログを書いていても、Facebook投稿をしていても、その時には気がつかないのですが、後から読み返してみると「なんじゃこりゃ?」みたいな日本語になっている事が多いんです。
以前は、ただ単にうっかりしているだけ。
詰めが甘いなー、くらいにしか思わないで、あまり気にしていませんでした。
まぁ日常的な会話を投稿するぐらいなら、大した問題ではないかもしれません。
しかし!セミナーの告知文など大切な文章でも誤字脱字をしてしまうのです。
これは困ったものです。
信用に関わる問題です。
誤字脱字が多い人間を信用出来ますか?
信用出来ない人のセミナーにお金を払って参加したいと思いますか?
わたしは嫌かな。
いい事書いてあっても、なんか信用なんねーなーと心のどこかで思ってしまうかもしれません。
それなら読み返せばいいじゃない
はい。
ごもっともで御座います。
でも読み返せないんですよ。
不思議な事に。
自分の書いた文章を読み返そうとすると、恥ずかしい気分になってしまうのです。
夜中に書いたラブレターを、朝読み返すとすっごく恥ずかしい!
そんな感じです。
「それなら投稿しなければいいじゃん」という話なのですが、言いたい事はある。
でも読み返すのは恥ずかしい。
でも言いたい。
あー、もういいや!
えい!と目をつぶって、公開するボタンを押してしまう。
こんな事が自分の中で起こっているのです。
自分を直視できない
自分で書いた文章を直視できないのです。
脇から、チラ見ってやつしか出来ないんですよね。
これはなんでなんだろうと考えてみました。
わたしなりに考えた結果、これは自己肯定感の低さが問題なんじゃないかと思いました。
自分なんか大した人間じゃないから、自分の書いた文章なんてこの程度でいいだろう。
と考えいるのではないかと。
誤字脱字が多い文章を発信する程度が、ちょうどいい人間なのだと無意識が設定していて、わたしに誤字脱字が多い文章をわざわざ作らせているのではないかと思いました。
そう考えると、文章というより、実は自分自身を大切にしていないのではないかと思い当たりました。
自分で作り上げる物をわざわざ不完全な物にして、ダメな自分を演出しているのではないかと思ったのです。
「またまた大袈裟なー」と思うかもしれませんが、こういうちょっとした事に、大切なサインが隠れているものなのです。
言っている事とやっている事が違う不思議
誤字脱字と同じような事が他でも起こっていると思います。
みなさんの身の回りで、言っている事とやっている事が違うと思う人はいませんか。
またご自分の事でも心当たりはないですか。
タバコをヤメたいと言いながら、タバコを吸う人。
痩せたいと言いながら、全く食事制限しない人。
病気を治したいと言いながら、全く治す努力をしない人。
これって、人の無意識にプログラムされている、自分を定義している設定がそうなっているからだと思うんです。
タバコをヤメれない人は、自分はタバコを吸う人間である。
痩せれない人は、自分は太っている人間である。
病気の人は、病気をしている人間なのである。
何かその人が設定した自分があるんだと思います。
それは意識では嫌だなと思っていても、無意識の中で何かメリットがあったり必要であるから、そのように設定しているのです。
一見自分にとっては嫌な事でも、無意識は自分にとって都合のいい事しかやらないようにプログラムされているのです。
そして脳は、一度設定したプログラムを何度も使って楽をしようとする特性を持っているものなのです。
自分が願った通りに行動できないと思っているとしたら
自分はこうしたい、ああしたいと思っているのに行動出来ない。
やろうと思っても長続きしない。
なんでも三日坊主に終わってしまい落ち込む。
などなど思っている方。
それはあなたの意志の力が弱いからではないのです。
あなたのせいではなくて、自分の中にある信じ込みや価値基準。思考のクセなどが関係しているのです。
その思考のクセなどは、過去に作られたものです。その過去に作られた思考パターンを今でも使い続けているだけなのです。
思考のクセを調整して、滞りをなくせればいいですよね。
「何故?」ではなく「何のために?」と考える
「何のために?」と考えてみませんか。
「何故?」と考えると受動的で過去向きの思考になってしまいます。自分の考えでやっているのではなくて、誰かにやらされているになってしまいます。
何のためにそんな設定をしたのだろう。
何のためにそんな経験をしたのだろう。
何のためにと考えると能動的で、未来向きの思考になります。自分で決めたんだという自己決定感も上がります。自己肯定感が上がると、自己肯定感も上がってきます。
あなたはそれを「何のためにやっているのですか?」