人は無意識の中に埋め込まれた、自分独自の世界観や考え方、感情、感覚を持っているはずです。
わたしに言われるまでもなく、当たり前といえば当たり前の事です。
人はそれぞれ色々な考え方や感覚、感情を持っているからこそ、多様性に富んだ社会になるのです。
みんなの感覚が一つだけなら、こんなにたくさんの職業もいらないし、戦争も、宗教もひとつで十分です。
しかし自分の感覚や感情を、そのまま信じる事が出来ない人が沢山います。
いやそもそも自分の感覚や感情がわからない人が沢山いるのです。
自分の感覚や感情がわからないから、自分のしたくない事も、したい事もわからないのです。
という事は、自分のしたくない事をして、したい事をしていないのかもしれません。
そういう人が「生きづらい」と感じているのではないでしょうか。
なぜそんな事になってしまっているのでしょうか。
それは無意識に埋め込まれた、自分の考え方のクセを知らずに、そのクセに自分自身が支配されて無意識に自動的に行動させられてしまっているからです。
その考え方のクセをビリーフと読んでいます。
無意識に埋め込まれたビリーフを知れば、本来自分がやりたくない事、やりたい事をみつけられます。
それが自分の考え方のクセ(ビリーフ)をみつけるメリットです。
わたしも自分の感覚や感情を信じる事ができませんでした
いつでも人と比べていました。
これでいいのかな。
これで間違っていないかな。
こんな事をしてはいけないかな。
これって普通じゃないよね。
などなど人目を気にしていつも、自分の思った事をする事が出来ませんでした。
自分の感情、感覚なんか全然大切にしていなくて「〇〇だからこうするべき」だとか「〇〇という立場だからこんな事をしてはいけないよね」などと考え、行動していました。
自分がどう感じるかではなく、社会からみてどうか、他人から見てどうかという価値基準で行動していました。
「べきねば」思考で生きてきた
わたしは飲食店を経営しています。
経営者として「社長だから〇〇するべき」と考えて行動していました。
「〇〇したい」ではなくて「〇〇するべき」です。
この「べきねば」思考は苦しかったです。
そこには感情や欲求は全く存在しません。
自分の欲求ではなくて、なにか問題を解決するための思考です。
こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようと問題解決をするための行動しか出来ません。
おかげで何を達成しても、どんなに数字を上向きにしても、全く達成感を感じられませんでした。
わたしは創業社長ではなくて、2代目だからかもしれませんが、「お店を潰さないよに!」これが考えの中心でした。
社長だから当たり前なのですが、わたしには強烈に自己否定をするビリーフがあったので、ややこしい事になっていました。
でも自分のビリーフをリセットして、したいを思い出す事で「これをするためにはどうするか」という思考に変える事が出来るようになれました。
未来の自分を想像して、未来から逆算して「で今の自分はなにをするのよ」という思考です。
生きづらいと思っていたのは、ただ自分が作りだした考えに縛られて、自分のしたいを抑圧していたからです。
自分で作り上げたビリーフに邪魔をされて、自分の欲求を感じる事が出来なくなっていたのです。
ビリーフから抜け出るためにしたこと
心を学び、学ぶ過程で自分と向き合いました。
そりゃー嫌という程向き合いました。
そして自分のビリーフを発見してはリセット。
発見してはリセットしてと、玉ねぎの皮を剥くように少しずつ、地道にビリーフと距離をとっていきました。
無い物にするというかは、同居するイメージです。
無い物にすると、また話がややこしくなってしまいます。
無い物ではなく、同居する。
自分の中に、光と影両方あるんだと理解して、受け入れる感じです。
ビリーフを受け入れるのがとっても大切なのです。
そしてビリーフと距離がとれ同居できるようになると、自分の感情が出せるようになります。
「これはいやだ」「したくない」「これをしたい」「あれがしたい」などの感情です。
本来の自分に戻りませんか
もう生きずらくて嫌だ。
自分が思っていた人生は、こんな風ではない。
こんな風に、もし思い悩んでいませんか。
あなかが本来自分が持っている、「やりたい」「いやだ」を取り戻しませんか。
自分の感情を取り戻すと、自分の足で生きる力を手にいれる事が出来ます。
達成感を持てるようになります。
こんな自分でもオッケーと思えると、とっても気が楽になって世界が変わります。