6月10日
今日は娘の6才の誕生日です。
は〜、早いな~
来年は小学生だよ。

産まれた年の事

彼女は私が43才の時に産まれてきました。
2011年6月、震災の3ヶ月後です。

震災の時はマンションに10階に住んでいて、週末だったのでエレベーターが止まってしまい、身重の妻は下に降りることが出来ずに私が買い出しにいって、階段で昇り降りしました。

水とか食料をもっての階段はいいトレーニングなりました。

地震があった時は、妻と遅いお昼ごはんを、食べているときでした。

「なんか揺れてるね〜」

「そうだね~」

「なんだか、揺れが長いね〜」

「そうだね〜」

なんて言っているうちに揺れはどんどん大きくなって、食器棚はガチャガチャいうし、テレビはグラグラ揺れているし、なんだなんだと思いながらも、為す術もなく2人でボーゼンとしておりました。

そうこうしているうちに、東北の津波の映像がテレビで流れ始めました。
阪神淡路大震災の時にも思ったのですが、冗談かと思いました。

阪神のときも、昼頃起きてテレビつけたら映画の特撮みたいに街が燃えていて、ビルは倒れ、高、速は落ちていて、「ウルトラマンの特撮みたいだ」と思いましたが、東北の津波の映像も現実のものかと感じてました。

港に水があれよあれよという間に押し寄せて、簡単に建物を飲み込んでいく様は、こちらも現実のものとは思えませんでした。

原発は爆発するし、、、。

当時、オフロードバイクに乗っていたので、渋滞する道をすり抜けて、錦糸町店と神田店両方様子をみて、小さな子供がいる社員もいたし、社員の安全を担保できなかったので、臨時休業にして社員を全員返しました。

その後に、帰宅困難者が沢山いてどこの飲食店も満席だったと聞いて、商売ではなく、お店を開放すればよかったのかと考えたりしました。

その当時、神田店を改装する計画を立てていて、この計画は大失敗に終わってしまうのですが、大変勉強になりました。

その為に経済時にも、精神的にも辛く、人生のなかで嬉しいと辛いの、両極端な年でした。

そして現在

2017年現在、赤字店は整理して、借金はまだまだ沢山ありますが、おかげさまで仕事も順調です。
未来の事も、社長として考える余裕が出来るようになりました。

あの時に子度が産まれたから。

全ては必然だったのだと思えるようになりました。
あいがたいです。

来年は小学生です。
あどけなさは大分減ってきてしまいましたが、とても可愛い娘です。

ゆっくり成長してほしいような、早く一緒にお酒を飲みたいような複雑な気持ちです。

彼女が成人して社会に出る頃、わたしは70才近い年齢です。

まだまだ頑張らなくてはいけないし、自分の会社をもっと成長させて、彼女や彼女の子供が、今の日本よりもっと良くなっていて、情熱的に働ける社会の礎になれればと考えております。

光へ

光ちゃんのお陰で幸せです。

父ちゃんもっと頑張るよ。

ありがとう。

感謝してます。

この記事を書いた人

春山 充

春山 充

1967年生まれ 東京都豊島区出身 東京で創業昭和54年の、ろばた焼き屋を経営している。軽い気持ちで飲食店を継いだはいいが、社員とのコミニュケーションに悩み、勉強不足で経営も窮地に陥った時期もある。現在は心を入れ替え、社員が安心して働ける会社に成長させようと日々奮闘中。 詳しいプロフィールはこちら