6年程前から、うちの会社(店)では社員教育に力をいれている。
わたしは父親からお店を引き継いで約20年。
経営や飲食店でおさえるべき数字などなにも勉強しないできた。
勘と気合と根性。
いやーよく潰さなかったもんだ。
わたしが社員教育にいたるまでの話しを紹介したいと思う。
親父の会社に入る
26歳の時に親父が経営する「ろばた焼き海賊」にはいる。
勉強が死ぬほど嫌いだったわたし。
高校はなんとか卒業できた程度の成績。
その後、カメラマンのアシスタンや、アルバイトをしたりとプラプラしていた。
そんななか、結婚をしたい女性と知り合い結婚することに。
それを機会に安定収入が欲しくて、なんにも考えずにさらっと入社した。
毎日現場で接客だ!
うちの親父は脱サラ組。
特に調理師であるとか、ずっーと飲食の世界にいたわけではない。
ちょっとしたきっかけで飲食店を始めた。
親父は、勘と気合と根性で経営するスタイルだった。
なのでわたしも毎日現場に出て一生懸命接客していればいいと思っていた。
高校はまともに行かなかったが、根は真面目な性格。
毎日、社員と同じシフトで先頭きって働いていた。
親父倒れる
わたしが働き始めてから5年くらいに、親父が病気で倒れる
実質わたしが社長として指揮することに。
飲食店を継ぐ気があったわけでもなく。
プラプラしていたわたしは当然外の世界で経験や勉強をしてきた訳もない。
親父のやり方を真似して、勘と気合と根性でお店をやっていた。
バブル到来
いろいろと問題を抱えながらも、すでに20年くらい営業している老舗のろばた焼き屋。
鳴かず飛ばずの状態が続いていた。
そんななか錦糸町に地下鉄が通ることに!
駅前は整備され、人口が一気に増えた!
当時、受け皿になる飲食店が少なかったので、海賊に一気にお客様が流れ込んできた。
毎日満席。断っても断ってもお客様が押し寄せてきた。
ものすごい繁盛ぶり。
当時のわたしは、お客様のことを大切にする。
お客様第一なんて全然、全く考えていなかった。
お客様は効率よく捌いて(捌くってなんだよ!)席をどんどん回転させていくものだと思っていた。
はっー。アホやー。われながら恥ずかしい。
そんな感じが2年くらい続いて当時のわたしはこう思った。
「これでいいのだ!この状態がずっとつづく!俺って天才!」
本気で思い込んでいた、、、。
穴があったら入りたい。
当然にして売上は減少していく
これでいいのだ!と思っていたわたし。
当然、経営の勉強なんてしない。
社員とコミニュケーションをとるとかなんて全く考えない。
信頼関係も出来ていないのに
「俺の言う事をきかない!」
「仕事を全然しない!」
と自分ばかりやっていて、社員はなにもしない、協力してくれないと不満タラタラであった。
そしていつしかお店の空気は悪くなり、ジリジリと売上が下がっていった。
塞ぎ込む毎日
当時、神田でもお店をやっていた。
そちらも海賊をやっていたが、売上がやはり鳴かず飛ばずだったので改装をしてみた。
すこしシャレた内装にして、客席に七輪を出してお客様に炙っていただくスタイルのお店。
神田=ガード下のイメージを払拭するお店だったので、このお店も結構繁盛していたが。
こちらも徐々にお客様の数は減っていき、売上が減少。
アホなわたしは二匹目のドジョウを狙ってまた改装。
そして見事に大ゴケ!
2店舗とも上手くいかなくなり、社員との関係性も悪い。
飲食店の仲間もいない、相談できる先輩もいない。
どうしたらいいのかわからずに、ただ毎日悶々とした日々を過ごしてネットを眺めて。
「飲食店 ひま」「飲食店 景気」
などくらいキーワードで検索しては、売り上げが悪いのを景気のせいにしようとしていた。
ここまでのまとめ
お店に入ってから、13年くらいの間に起こったことを書いてみた。
こうして書くと大した事やってきてないようにも感じるな。
会社が潰れるパターンがある。
- たまたま儲かる
- キャッシュが増える
- 借金して過大投資する
- ブームが去り売上激減
- 資金がショートする
- 倒産する
まさにこのパターンに途中まで陥った。
資金もショートする一歩手前。
基本的に現金商売である飲食店なのに、資金繰りに困ってしまい運転資金を借り入れた。
借金しても根本的な解決をしていないので、お金はどんどん溶けていく。
減るのではなく、溶けて無くなっていく!!
これは焦った。
行動が知性を決める。
西野さんが本の中で言っていた言葉。
当時は完全に思考停止していた。
危ないところだった。
こんな感じで、やってきた事をぼちぼちと振り返っていきたいと思う。